青竹雑記帖(6代目)

テキスト処理をメインとしたIT解説をします。

「そこそこ」の選択肢

物事を「全部やる」か「全くやらない」かを考えたくなったとき、判断対象をもう少し細分化して判断し、総体として「そこそこやる」という選択肢を今一度ご検討ください。

昨日私がふとツイートしたものですが、少々言い換えると「おはようの挨拶はタダなので、遠慮なく積極的に挨拶をしておけ。常日頃おはようと挨拶をしていただけで記憶されて、一大事において物事が通じることもある」という感じのことを言いました。ひとくちに挨拶と言ってもいろいろあり、このような軽い一声のこともあれば、ちょっとした立ち話のこともあるでしょうし、重要な挨拶ともなれば、正装をして手土産を持参し、丁寧に言葉を述べることになります。この「そこそこやる」というのを再認識したのは、先日(といいますか完全復旧宣言は今日でしたが)のKDDI通信障害の件についてのSNSでの反応でした。

KDDI通信障害の件で、「作業にあたっている人に感謝すべきだ」「いや、契約上の義務を果たしているだけだからその必要はない」「会社を甘やかすな」など、SNSでは言葉の応酬が繰り広げられています。もともと何を対象として見ているか、何に対して論評しているかという点のすり合わせができていないのが最大の問題ですが、それに加えて考えると良いのが、判断対象をもっと細分化して考えるということです。たとえば私は、次のように考えています。

  • 会社組織としては、当然通信障害を積極的に引き起こしたくて作業をしたわけではないが、結果に対しては責任を負い、体制に改善すべき点がないか批判的に検証する必要がある。
  • 組織内各担当者は、おのおのの作業フローを再点検して改善可能な点を明らかにする必要がある。
  • それはそれとして、足かけ3日に渡り必死に作業した方々に「や、お疲れさん」と労いの言葉をかける。

これらは互いに矛盾なく成立する姿勢だと思っています。

ちなみに「批判」という言葉も最近では否定的文脈で使われ、とりわけネット上ではしばしば相手をとにかくボコるみたいなことをしがちですが、本来の意味は「物事に検討を加えて、判定・評価すること。」(『デジタル大辞泉』より)ですから、物事をよく検討し、それについて良かった点は良かったとし、改善すべき点は改善すべき点として示すことが重要です。これらも合わせると、全肯定か全否定に限ることなく、さまざまな選択肢が広がります。

全肯定か全否定かという状態を指すときに「0か1か」や、「0か100か」という表現をすることがあります。私は情報系の人間なので、これを2進法的にたとえています。全肯定か全否定かで物事を判断するのは2通りですから、これは2進法では1ビットで表せます。問題を細分化して、これは良い、これは悪いと判断していくと、その細分化した数に応じて桁数が増えていきます。2つの部分ごとに判断すれば4通り、3つに分けて判断すれば8通り、次いで16通り、32通り、64通りと増えていきます。全肯定か全否定か以外の判断をしていくと、真ん中あたりに「そこそこ」という範囲が生まれてきます。この「そこそこ」という部分を自分は大事にしたいと考えています。どのくらい細分化すると良いかは経験則によるところが大きいですが、4つくらいの判断水準で最終的に16通りくらいの結果にするのが上出来かもしれません。

ちなみに最近のコンピュータは64ビットアーキテクチャですから、最大64ビット幅で各種データを処理できます。ちなみに64の判断水準で物事を細分化して考えますと、18,446,744,073,709,551,616(1844京6744兆737億955万1616)通りの結果が得られます。全肯定・全否定以外に1844京6744兆737億955万1614通りありますから、じっくり考えて判断する必要があります。この数は、昨今のTwitterで大変大きな数を意味するときにしばしば使われる「5000兆」よりはるかに多いです。……今の日本円の価値のまま2の64乗円くらい銀行口座に入金されませんかね。

コホン、判断水準が多いとその分頭が痛くなりますが、頭が錆びつかない程度に判断して選択していきましょう。