青竹雑記帖(6代目)

テキスト処理をメインとしたIT解説をします。

我々の創作魂は揺るぎない(序論代わりの檄文)

世の創作者たちよ、我々の創作はAIによって揺らぐものではないはずだ。もっと自信を持て。

初っ端から真っ赤なクソデカ文字で何をぶち上げているかと申しますと、機械学習を用いたイラスト生成に様々な思いを抱くイラストレーター諸賢、さらには各種創作を成したことがある創作者諸賢への叱咤激励です。技術的観点、法的観点など、さまざまに理詰めで論じても、動揺しているうちはそれを理解するだけの余裕は取れないと思いますので、序論代わりにまずは心からのシャウトをぶつけることにしました。私は忘れっぽいので、もしかしたらこの檄文だけを書いて続きがない可能性もあります。その節はご容赦ください。

私は情報科学系の研究者にしてITエンジニア、そして小説書きでもあります。主に「ご注文はうさぎですか?」の二次創作小説を書いているほか、高校生の頃から十数年ほど間欠的に一次創作の小説も書いています。私の創作の腕よりはるか上を行く創作者はこの世に数多くいます。その方々が著した各種の本を読むたびに心打たれ、このような素晴らしい文を書きたいと思い、時には嫉妬し、挫折し、もう書くのを止めようかと思ったことは枚挙に暇がありません。でも重要なのは、私の文章を書けるのは私しかいないことです。私の文章を集中して学習して作り上げたAIが、私の文章を限りなく模倣して書いた小説を生み出したとします。それは私を「先生」としたのであって、私を乗っ取ったわけではありません。私のような文章を書く新たな作家が誕生し、その作家がたまたま人類ではないという話であると思っています。私の文章技法や癖を限りなく学び取ったAIとて、入力していないものは学習して出力することができません。それは何か? すなわち私の文章に直接には現れていない私の人生の蓄積、詩的に言えば「わが心」です。文章を模倣しきったとしても、私が文章を生み出すその心までは盗み取ることはできません。

もちろん、ビジネスの世界では我々の心を含めた存在すべてを要請される場面はそう多くなく、たいていは「キミと同等以上の文章が書ける存在があればそれでええんや」と技術のみを要請され、そうしてAIに仕事を奪われる可能性は遠い将来にはあり得るかもしれません。飯の種が消えると自分も路頭に迷います。しかし現在、あなたはまだAIに取って代わられていないはずです。繰り返しになりますが、AI(機械学習)は入力に基づき学習します。これは人間も同様ですが、たとえば現在のAIでは「私の無数の人生経験、そのときに見聞きしたもの」を入力して「それを背景にした文章」を出力するところまでは行っていません。情報科学系の人間がぶち上げるのも変な話ですが、機械学習はそんなに上等でも万能でもありません。あなたの代わりではありませんし、あなたの代わりにはなりません。

「違う、私が心配している、怒っているのはそこじゃない」という人も多かろうとは思いますが、まずは我々創作者の存在はそう簡単に揺らぐものではないと今一度見直していただき、磐石の自信を持って事にあたっていただきたいと思います。いっときの感情に乗せられるまま突き進むと、その先にあるのは破滅です。この文章を読み終わったら画面を閉じ、自分の書き上げた(描き上げた)創作物を見て、それが誰にも完璧に真似することができない唯一無二の存在であることを再確認してみてください。